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活躍する同窓生 <インタビュー>
桂竹丸さん

今回は落語家の桂竹丸さんを新宿にて直接取材させていただきました。


落語家 三遊亭 遊馬さん
 


Q:この分野に入るきっかけやこれまでの経緯をお聞かせください。

 私は鹿児島県出身で駒澤大学に進学した際に、当時江戸弁にあこがれていたので「落語くらぶ」か「アナウンス部」に入部するつもりでした。ところがアナウンス部が見つからず、元々「落語」に興味があった為「落語くらぶ」に入部しました。
 その後1979年に「日本テレビ全日本学生落語名人位決定戦」で3位に入賞し、在学中は学生タレントとして文化放送やテレビ東京に出演していました。
 職業については最初から落語と決めていた訳では無く、会計士など資格を取得して職に就くことも検討しました。ところが社会人となった先輩達から「落語家の道」に進まずに後悔していた話を聞くにつけ、資格は後でも取れる。今落語の道に進まなかったら一生後悔すると思い、卒業後落語家の道に進むことにしました。
 1980年には「日本テレビお笑いスター誕生」で銀賞を獲得し、その後桂米丸に入門しました。その他日本テレビ、テレビ東京、ニッポン放送の各番組に出演し、1985年に二ツ目昇進1986年には韓国ソウル寄席に出演しました。1991年には国立演芸場花形新人演芸会銀賞、NHK新人演芸コンクール大賞を受賞しました。
 鹿児島県人の気質でもってアマチュアとプロの違いを痛感しつつ、これを乗り切りました。これまでの経験から落語家に必要な素養は「才能」よりまず「体力」、そして人間関係(嫌な事があってもかわせる図太さと我慢強さ)であることを痛感しました。

Q:現在のご活動状況についてお聞かせください。

 寄席や同窓会の派遣講師、TV・ラジオ等々、幅広く仕事させていただいています。また海外で公演できるよう踊りや外国語を習っています。
 今年51歳になりますが、駆け出しの頃は着物(着流しに羽織)もぎこちないのですが、年を重ねる毎に体に馴染んでくるんです。それと同時に芸に厚みも出てきます。ただ私はまだまだですが。それで余生といいますか後何年頑張れるか逆算してみると、20年位は元気でいられるのではないだろうかと、何か社会に還元できないかと考えてボランティアを計画しています。例えば、郷里の鹿児島にはお年寄りだけの集落も多く、寄席を見るにしても会場が都市部では、行くだけで大変な苦労を伴います。そこでこちらからワゴン車で直接集落に行って庭先で落語をする。(座布団1枚の場所さえあればいいのですから)そんなあたたかいふれ合いができる活動を始めています。

Q:駒大生時代における当時のエピソード等について伺います。

 在学中のことですが、本校講堂前で即興の青空寄席を行ったりしました。また下宿では大声を出せないので、駒沢公園で座布団を引いて良く練習をしました。練習量でいえば学生時代が最も多く練習しました。駒大には本当に感謝の気持ちが一杯です。駒大に行かせてくれた両親にも感謝しています。

Q:ご自身にとって落語とは、その魅力についてお聞かせください。

 落語は自分探しの面があります。落語というものは無くても生きていけるけど、有った方がずっと良いものといえるでしょう。
 日本は世界でも類を見ない、物事を小さくまとめる「省略の文化」があります。その代表的な芸能のひとつが落語ではないでしょうか。落語は1人で50人もの役柄を演じることもできます。しかも、内容を理解するには、話し手だけでなく聞き手の技量の両方が必要になります。同じ話でも笑う場所は人によって違います。同じ話でも話し手によって演じ方は千差万別です。歌舞伎もそうですが、感情を単純に表に出さない、奥ゆかしさに思いの強さを秘めたのも「落語」の魅力の一つといえます。

Q:最後に同窓生の皆様に向けてのコメントをお願いします。

 駒大は大きな財産を与え続けている存在です。でかすぎず、細かすぎず、程好いものを与えてくれます。駅伝、同窓会、放送業界そのほかあらゆる世界においてOBに会う機会も多く、頑張っている方を多く見かけます。疲れたら一度母校を訪れてみたり、又は駅伝を応援してみてはいかがでしょうか。私も母校に対して何かしらの形で貢献できればと思っております。
 

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http://www.entertainer.ne.jp/takemaru/
桂 竹丸さんのホームページ

 
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